海旅一座 旗揚げ巡業

海旅一座  2014年新春旗揚げ巡業

~海から賜ったもの~

海旅のスペシャリストが海から学んだ物語をお届けいたします。

■2014年 新春海旅芸人巡業  長崎~佐世保~諫早~北九州~小倉~島根~下関

■話士

○ 座長 洲澤育範(皮舟大工)

「時を行く舟」

海から生まれた命は海へ還りたい、海を旅したい。われわれの血の奥底に眠る海洋ほ乳動物の記憶を呼び覚ます道具、それが革舟・カヤック、それが皮舟・バークカヌー。

http://elcoyote1990.com/

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○  高沢進吾(エスキモー猟師見習い)

「海を喰らう」

アラスカ北極圏イヌピアック・エスキモーの町「ポイントホープ」に通い始めで二十       余年。クジラ猟に参加すること十数年。時代とともに変化し続ける文化と、今に続く伝統を吸収したいと今も通い続けている。

http://homepage1.nifty.com/arctic/

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○  鈴木克章(シーカヤック海洋冒険家)

「海気の向こう側」

手漕ぎ舟日本一周の海旅のお話。一人ぼっちで海を漕ぎ続けた二十五ヶ月間。 左足はどこまでも連続した野生へ。右足は現代日本社会へ。 軸なる私はその様な環境の中で、何を思い何を感じたのか。そして何を伝えたいのか。

http://hirumanonagareboshi.hamazo.tv/

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○  石川仁(葦船海洋冒険家)

「草の船で海を舞う」

人類が作り出した最初の乗り物とされる葦船(あしぶね)で海を渡る。まるでタイムマ  シンのように数千年前まで感覚が戻されていく海旅。そこにはむき出しの自然と戦い、そして抱き合うドラマがあった。

http://kamuna.net

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■  協力   TSUKIMI-COFFEE  NPOインフィニティー  ナチュラルフィールド アートギャラリー海からの風  ハイサイ食堂  北九州大学 パサール満月海岸みさか自然の森学校 EL COYOTE Arctic Town of Alaska ひるまのながれぼし カムナ葦船プロジェクト

□  海旅一座 新春旗揚げ巡業 スケジュール

 

■  2月1日(土) 17:30〜20:00  会費 ¥1,500 (ワンドリンク付き)

長崎シビックホール 長崎市常盤町1-1  1F 電話090-9345-5372(石川)

懇親会 同会場 20:00~22:00 ¥1,000 食事付き (飲み物、マイ皿、マイコップはお持込みください)

 

■  2月2日(日) 14:30〜17:00  会費¥2,000- (ワンドリンク付き)

アートギャラリー海からの風 佐世保市船越町785-3 電話090-7535-0769(衣川)

懇親会 17:00~ ¥2,000-(お飲み物はお持ち込みください)

 

■  2月3日(月) 18:30〜20:00  会費 ¥2,000(ワンドリンク付き)

圓立寺 諫早市八坂町4-16 電話0957-22-2153

懇親会 20:30~22:00 無料 食べ物、(飲み物はお持ち込みください)

 

■  2月5日(水)19:00~21:00  会費 ¥2,000- (ワンドリンク付き)

ハイサイ食堂 福岡県北九州市八幡西区折尾1-1-5 電話093-692-1777

懇親会 21:00~ 会費 ¥1,000 (飲み放題 食べ放題)

 

■  2月6日(木) 15:00~17:00 会費 無料

北九州大学大學堂 北九州市北区魚町4-4-20旦過市場 電話080-6458-114

※特別講師 竹川大介(海洋人類学者)

懇親会 18:00~20:00 会費 無料(飲み物、食べ物は持ち寄りで)

 

■  2月8日(土)17:00~19:00 会費 ¥2,000 (ワンドリンク付き)

パサール満月海岸 島根県浜田市三隅町湊浦270 電話090-6001-6111

※特別講師 是垣さくら(アーティスト)

懇親会20:00~ 会費 ¥1500+カンパでパサールディナー付

※ドリンクは別料金(持ち込み可)

 

■  2月11日(火)13:30~14:00 会費 ¥2,000(ワンドリンク付き)

下関みさか自然の森学校 山口県下関市大字蒲生野字深坂 電話083-259-8555

※特別講師 石川創(下関海洋科学アカデミー)

懇親会 17:00〜20:00 会費 無料 (食べ物、飲み物はお持込みください)

 

※今回、高沢進吾氏の講演は長崎講演、佐世保講演のみとなります。

海旅一座長崎旗揚げ夜話会

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■2014年 長崎~福岡~島根~山口の新春海旅芸人巡業

「海旅一座 長崎旗揚げ夜話会」

テーマ「海旅から賜ったもの」

話士
洲澤育範(皮舟大工)
「時を行く舟」
高沢進吾(エスキモー猟師見習い)
「海を喰らう」
鈴木克章(シーカヤック海洋冒険家)
「海気の向こう側」
石川仁(葦船海洋冒険家)
「草の船で海を舞う」
 
■日時 2014年2月1日(土)  
開場 17:00 開演 17:30~20:00

■参加費 ¥1,500(飲み物付き)
小学生以下は無料

■場所「長崎シビックホール」
住所 長崎市常盤町1-1
メットライフアリコビル1F
電話 095-822-8161
アクセス
路面電車「市民病院駅」下車徒歩3分
駐車場 近くにコインパーキングあり

■担当・問合せ申込先 
石川仁 090-9345-5372 

■講演内容

海旅のスペシャリストたちが、長崎の地より海の手紙をお渡しいたします。

・洲澤育範(皮舟大工)
「時を行く舟」
海から生まれた命は海へ還りたい、海を旅したい。われわれの血の奥底に眠る海洋ほ乳動物の記憶を呼び覚ます道具、それが革舟・カヤック、それが皮舟・バークカヌー。
http://elcoyote1990.com/

・高沢進吾(エスキモー猟師見習い)
「海を喰らう」
アラスカ北極圏イヌピアック・エスキモーの町「ポイントホープ」に通い始めで20余年。クジラ猟に参加すること10数年。時代とともに変化し続ける文化と、今に続く伝統を吸収したいと今も通い続けている。
http://homepage1.nifty.com/arctic/

・鈴木克章(シーカヤック海洋冒険家)
「海気の向こう側」
手漕ぎ舟日本一周の海旅のお話。一人ぼっちで海を漕ぎ続けた25ヶ月間。 左足はどこまでも連続した野生へ。右足は現代日本社会へ。 軸なる私はその様な環境の中で、何を思い何を感じたのか。そして何を伝えたいのか。
http://hirumanonagareboshi.hamazo.tv/

・石川仁(葦船海洋冒険家)
「草の船で海を舞う」
人類が作り出した最初の乗り物とされる葦船(あしぶね)で海を渡る。まるでタイムマシンのように数千年前まで感覚が戻されていく海旅。そこにはむき出しの自然と戦い、そして抱き合うドラマがあった。
http://kamuna.net

ボリビアにて葦船の乗組員を訪ねる!

Expedicion Matarangi(エキスペディション マタランギ)

数千年前に太平洋、大西洋を渡っていた海洋 民族がいくつもの足跡を残している。 ことば、衣類、建築様式、狩りや漁のやり 方、呪術的風習、壁画や彫刻、陶芸など、各 地で明らかに共通した文化風習がある。

古代船(葦船)で海を渡った民族の可能性を証明するための実証航海を試みたのが国連の公式プロジェクト、エキスペディション マタ ランギだ。

ラパヌイ(イースター島)、南米チリ、スペイ ンで太平洋横断、大西洋横断に1997年から 2002年まで3度の挑戦をしてきた。 ボクはそのプロジェクトに造船の段階から作 り手として参加し、クルー(乗組員)として葦 船で海を旅してきた。

その時、汗と涙と誇りを胸に共に時を過ごし たマタランギ号のクルーがボリビア側のチチ カカ湖に住んでいる。

名前は、Benjamin Alatia、 通称、「ベンハ」

先祖代々の葦船職人の末裔であり、実際に葦 船マタランギ号で共に航海をした兄弟だ。

彼に会うためにペルーからボリビアへとチチ カカ湖沿いに国境を越えた。 (*チチカカ湖は55%がペルー45%がボリビア に2分されている)

彼が住んでいるのはスリキ島。 なぜか葦船職人が大半を占める謎の島なの だ。

驚くべき謎の一つは、彼らスリキ島の住人は チチカカ湖に住みながら、湖では必要ない海 を渡るための30mを越す海洋型葦船の作り方 を知っていたのだ。

数百年、いや数千年も誰にも知られずに、 「いつかその日のため」に、先祖代々受け継 いでいたのだろう。

もちろん、 なぜ? の答えは彼らにさえわからない。

わかることは、彼らの匠の技がなければ葦船 による太平洋、大西洋横断は不可能に近いこ とだ。

僕らが葦船での太平洋横断を目指す今、ベンハを中心に葦船職人の仲間たちの協力は不可 欠だ。

アポなしで12年振りに会えるかどうか不安がないとは言い切れないが、この流れなら絶対 に会えると根拠のない確信が気持ちの真ん中 にあった。

ペルーから国境を越え、彼らの住むスリキ島 の定期船のある港をズンズンと目指し、バス に揺られる。

が‥‥、 心地よい居眠りのあと、目覚めると雪をま とった5000mを越えるアンデスの山々がバスの窓のすぐ目の前に迫っていた。 「あぁ、なんと夢のように美しい‥‥‥ ん、待てよ!チチカカ湖はどこにいった!!」

ヤバい! 寝過ごした!

30分も寝過ごしてバスは首都のラパスに向 かってひた走っている! これではスリキ島への定期船に乗り遅れる!

バスの運転手にしがみついて近くの小さな小 さな街で停めてもらう。

慌てて降りたことが本当によかったのかと疑 うような荒野。 そこにポツンと置き去られた乾いた町。 野良犬があきらめたように歩いている。

まずい、戻れるだろうか?

国道を通り過ぎるバスに乗せてもらおう。 睨むようにバスが通るたびにうったえる。

止まってくれ!

しかし、どのバスもパンパンの乗客で無理無理を意味する冷たいホーンをパパーンと鳴ら し、むなしく手を挙げる僕を通り過ぎる。 途中乗車はあきらめるしかないのか。

途方に暮れるぼくの視界の端っこに「TAXI」 とかかれたボロボロの黒いカローラを乾き きった街の角に捉えた!

駆け寄って噛みつくように、寝ている運転手 に、 「ワタハタまで行ってくれ~」

願えばかなうものだ。(運転手にかなりボラ れたが‥)

一時間遅れの午後2時に定期船の発着所にど うにか着いた。 が、悲しいかなほんの15分前にすでに出てい て、次の便は2時間後だという。 それでは、今日中に宿には帰れない。 明日の朝早くにはどうしてもプーノに帰らな くてはならない。

ツイてない。

もはやこれまでか!

肩を垂らしてあきらめかけた時に、 「ヘーイ、ジン!」 と、僕を呼ぶ声が!

振り向くと、なんと葦船のプロジェクトで、 ラパヌイ、チリ、スペインと一緒に葦船を 作ってきた職人パンチョとマルセリーノが過 ぎた時間を感じるシワを笑顔にのせて走り よってきた。

一体なんでここにいるんだ? 当たり前だが突然のボリビア訪問をなかなか 信じてくれない。 それでも何はともあれ、懐かしさと嬉しさの ダンスの中、昔話にパパっと花が咲くまでに 時間はそれほどかからない。 話せば、彼らも定期船に乗り遅れて困ってい たところだとわかった。

「ベンハはどこに住んでいる?」 一番気になっていることを聞くとマルセロ は、 「ベンハは?今は島にはいないよ。ここから すぐそばの葦船博物館で働いているよ。 もちろん他の葦船の仲間もみんなそこにいる よ!」

そうなのか! ベンハも他の葦船職人たちも、スリキ島から 便利のいい港の近くの対岸に移り住んでいる と言うのだ。

そこには葦船博物館があり、ちょっとした観光名所になっているという。 そこに葦船の一族が居るのだ。

居眠りして寝過ごして、 荒野の街角に黄昏て、 定期船に乗れなくて、 よかったのだ。

もし、定期船に乗れてたらすれ違いで会えて なかったのだ。

チョーラッキー。

早速パンチョとマルセロに案内され、3L入り のコカ・コーラ1ケースを手土産として肩に 担ぎ、すぐ近くの(実際には2km以上離れて いたが)葦船博物館へとザクザク歩いた。

博物館の門をくぐると、葦船職人の面々が 次々と驚きの声と人なっこい笑顔で集まって きた。 フェルミン、ポルフィリオ、セルソ、そして 長老のパオリーノ・エステバンも!

「カミサラーキ!」 「ワリキーワ!」 アイマラ語で挨拶を交わし、過ぎた思い出を 追いかけるようにお互いに元気でやっている ことを喜び合う! 長老のパオリーノとっくに80歳を越えている はずだが、まだまだ何かやる気満々だ! 嬉しい再会に言葉が弾む。

でも、一番会いたかったベンハの姿がない。

どうやら、チチカカ湖漁業組合の会議に出席 しているらしい。 よし、突然行っておどかしてやろう! 博物館を離れ、会議をしている家に向かう。

ベンハは他の葦船職人とは違う。 信頼できるのは、実際に葦船マタランギ号で 太平洋、大西洋の長期航海を共に経験してい る葦船職人であることだ。

ベンハは航海を通して、葦船の作りの修正箇 所を常に把握しているのだ。

僕は船作りの技術や経験のある他の葦船職人 の葦船よりも、実践から生み出す進化した葦 船作りを求めていた。

僕らが目指す太平洋横断の葦船はベンハを中 心に作り上げたいとだいぶ前から決めてい た。 もちろん、乗組員としての信頼感は言うまで もない。

博物館から乾いた道をしばらく歩き日干しレ ンガでできた漁業組合が会議している家に着 くと、ベンハを呼び出してもらった。

少し待つと、あのもの静かで鋼のような男が手にノートを抱えてゆっくりと扉を開けて出 てきた。

目が合った。 パッと笑った。 時間が一瞬止まり、溶けて、埋められ、お互 いの全てを理解し合った。

7人の航海士で大海を渡る。

そのうちの1人がベンハだ。 葦船について世界で一番知り尽くしている 男。 航海中、いつも同じ場所から動かず鋭利な感 覚でただ海を、空を、雲を、風を感じ、少し の変化も見逃さない男。

葦船太平洋横断プロジェクトの再開の話を彼 に告げた。

「一緒に海を越えよう」と手を伸ばす。

「もちろん」 と、手を固く握る。

離れていた回路がまたつながった。

葦船太平洋横断という目的のために、ここチ チカカ湖でベンハと再び巡り会えた嬉しさが 眩しく光った。
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博物館に戻った後、葦船職人みんなに太平洋 横断プロジェクトの話を告げた。 ただし、ベンハを葦船作りの責任者にする事 は人間関係がちょっと複雑なためまだ伝えな かった。

ベンハとは、まだまだ話したりないので、泊 まっていた街まで一緒に来てもらい夜通し次 のプロジェクトの事を話し合った。 ・必要な葦の量値段の見積もり ・帆の大きさ、形、素材 ・マストの数、高さ、太さ、木の種類 ・船の長さ、幅、高さの割合 ・葦船本体の素材の割合 ・小屋の形、大きさ ・キール(流れ止め)の大きさ、取り付け方 ・舵の大きさ、素材取り付け方

夜遅くまで話しても足らず、早朝から僕らの 出発時間ギリギリまで話し合った。

別れの時がきた。 満足げな笑顔で挨拶を交わす。

また会おう!

チチカカ湖の湖岸で、一つの影が二つに離れ ていった。

原点回帰

ミゲル

会えた!

ミゲルにめぐり会えた!

その瞬間、すべてが原点に帰っていった。

二十歳のときからアメリカ、ヨーロッパ、インド、東アフリカを巡る旅に出た。
そんな中で、生きる意味を探す旅が始まった。
初めの冒険が、半年かけて2700キロ、
サハラ砂漠を独りでラクダと歩く旅。
次は、アラスカでイヌイットの人達と暮らしクジラ漁のための船作り。
両方とも生き物があまりに少なかったから今度はコロンビアからベネズエラまで、一人ジャンルを丸木舟で川下り。
暑いところ、寒いところ、ジャングル、

次はどうする?

その頃から地球上の極地を意識し始めていた。
この星で一番大変な場所で生きる知恵を学べば強い人間になれるんじゃないか、いや今だから言おう。
世界の極地で細胞レベルでバランスをとることができれば、女の子にモテるんじゃないかと信じ始めていた。

砂漠、冬のアラスカ、ジャングル、
よし、次はアンデスの人たちに高地で生きる知恵を学ぼう

そしてたどり着いのが19年前のペルー・クスコだった。

アンデスで、地元の人たちが使う交通手段は何だろう?

最初はロバでアンデス山脈を回ろうと熱く燃えていた。
頭に描いたのは、
カルピス劇場「母をたずねて三千里」のマルコの旅。
ポンチョをきで肩には白い猿をのせロバに乗って青き山脈を行く。素晴らしい、それで行こう!
と、まずは白い猿を探すことから始めた。
そんなさなか、ペルーからボリビアまで向かう時のこと。バスにゆらながらチチカカ湖に浮かぶ葦船と出会った。

これだ!
これでいこう!

意味も理由もあとからついてくればいい。

白い猿探しを忘れ、葦船でチチカカ湖一周を目指すことに決めた!

当時の、ガイド仲間と旅人でお祭隊をクスコで結成。
そして、鼻息ブンブンでチチカカ湖の浮き島ウロス島に向かった。

まずは、葦船を一から作らなければならない。
その美しい姿を作り出す知恵を教えてもらえる先生を探さなければ!

そこで、出会ったのがミゲルだった!
ウロス島一番の若き葦船職人だった!

彼との出会いが、僕の葦船人生すべてのはじまりだったのだ。

ミゲルと彼の家族とお祭隊のみなで葦船を作り上げた。037

惚れ惚れする船だった。
その葦船に帆を揚げ、櫓(ろ)を漕ぎ、4ヵ月かけてチチカカ湖一周、村々を回る旅をやり遂げた。
感動の旅のおまけは、途中で出会った海洋冒険家から誘われた、大型の葦船で太平洋を渡る国連のプロジェクトへの参加の切符だった。
それから、太平洋、大西洋を葦船で舞う。
が、三度の国際プロジェクトは、横断成功を達成できないまま終わりを告げた。

今度は、僕らの番だ!
葦船での太平洋横断の旅を再開するいま、どうしてもチチカカ湖の上に立ち、ミゲルに会いたかった。
あって報告をしたかった。

だけど、昔は20しかなかった浮き島は、いまは、70を越えていると言う。
19年前の葦船の師匠はまだ居るのだろうか?
居るとしても、どの島に?
手がかりは、ミゲルという名前だけ。
名字もわからない。

港で聞く。
「葦船職人のミゲルを知りませんか?」
「俺が知ってる連れて行ってやろう!」
素晴らしい、一発だ!
ウロス島に向かうモーターボートのフェリックス船長と固い握手を交わす。

だが、彼のボートに乗るとまず別の浮き島に連れて行かれ、島の人に僕がとっくに知っている浮き島の歴史と文化の話を聞かされ、お土産のタペストリーまで買わされて、いつの間にか旅行者と共に葦船に揺られる観光パックに紛れ込んでしまっていた。

まずい!

「フェリックス船長、頼む、ミゲルのいる島に行ってくれ!」
「大丈夫、慌てるな!」
と、結局わりかしすぐに本当にスルリとミゲルの島にモーターボートで連れて行ってくれた。
島につくと、ミゲルはいなく、当時8歳だったミゲルの娘が今は28歳。赤ちゃんを抱いて出迎えてくれた。
ミゲルと奥さんは、今買い出しに出ていて、もうすぐ戻ってくると言う。

すっかりたくましくなった娘のリーナと昔話をして待っていると、
「ミゲルがボート帰ってきたよ!」
と、誰かが
僕に叫んだ。

足をからませて急いで島の裏へ回る。
そこには小さなボートに彼と彼の奥さんの姿が。

「ミゲル、アチャラクチ!」昔のあだ名で呼ぶ。
僕を認めると、ちょっと太ったが、昔と何も変わらぬ笑顔がそこにドンとあった。

帰ってこれた。

ああ、

ここに帰って来れたんだ。

ゼロに帰って来れたんだ。

アマナ号の帰港が、房日新聞のトップニュー スに掲載されました。

アマナ号の帰港が、房日新聞のトップニュー スに掲載されました。

http://www.bonichi.com/
南房総安房地域の日刊紙 房日新聞: トップ 平成25年(2013年)9月10日 次は「太平洋横断」へ葦船冒険家石川仁さんヨットで日本一周し館山に帰港

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海族便り~千葉県館山港より~

日本を回る旅を終え、無事に館山港日の出桟橋に到着しました!

僕らの住むこの日本は
優しく、
美しく、
誇りに思える、
海に抱かれた島々でした!

お世話になった皆さま、
応援してくれた皆さま、
心から御礼申し上げます!

ありがとうございました!

ここから新たな旅立ちをはじめます!

カムナ葦船プロジェクト
石川 仁

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海族便り~函館港から下風呂港へ~

まさかまたトラブルに見舞われるとは誰が予想するだろうか!

そのぐらい津軽海峡は穏やかな朝だった。

朝の陽が眩しい。
離れ難い気持ちが詰まっている。

函館の港は優しかった。
出会う人みんな暖かかった。

街もお洒落で賑やかだった。
歴史もあり、華やかな街だった。

また、来よう。
三泊四日の短いが深い深い北海道島の滞在の記憶は美しい。

函館のみなさま本当にありがとうございました!

静かな海を渡る。
3日前から葦船の仲間のユウがアマナ号に合流している。
彼にとっては処女航海だ。

西からの風に帆を上げる。
ヨットに乗っているのに、最近エンジンがエンジンがと言い過ぎたよ、ホント。
僕らのエンジンは、風を受ける帆だ。
そう、もしかすると原点に帰るためのトラブルだったのだろうか。

流れる風にふくらむ帆は観ていて美しい。

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それにしても津軽海峡を流れる潮の速さは半端じゃなかった。
向かう方向より50度も東に舵をとる。
初めて舵を握るユウの肩に力が入っているのがわかる。

下北半島を渡りきったころに風が止まった。
直したばかりのエンジンをかける。
一発でかかった!
問題ない。
そうもった。

30分くらいたったころ、ふと排水が気になった。
少し少ないような気がする。

船に潜り込みエンジンルームのフタを開ける。

あぁ、水浸しだ!

冷却の為の海水がどこからか漏れている。
一本一本のホースを点検する。
穴は開いていない。
どこからだ!
どこから漏れているのか!

海の上での修理は可能なのか?
あふれる水をかきだしてみる。

わかった!吸水ホースのジョイント部のようだ。 原因がわかればこっちのもの。

エンジンを止め吸水の元栓を閉じる。

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2年前、初めての航海の初日にホースの破裂で水浸しになった。
一緒に乗っていたヨットの師匠田中さんがてきぱきと揺れる海上で直したのを思い出す。
今度は俺の番だ。
ホースの破裂はあれから2度直した経験がある。
インベラごと外してみると、吸水のホースを止めているバンドが切れていた。
幸い予備があったので丁寧に取り付けた。

エンジンをかける。
なに事もなかったかのようにブルルンルンと調子がいい。

うれしいのは、修理する事になれ始めていること。
壊れても直せる。
直せなかったらセールで走ればいい。
風がなければ待てばいい。

しげさんも、ユウも信頼してくれていた。

そして、事なきを得て下風呂港にちょっとだ け誇らしげに降り立った。

ここには白濁の素晴らしい温泉があるという。

三つの陽に焼けた男の背中が温泉街へ向かった。

海族便り~北海道函館港より~

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エンジンがどうにか直った!

エンジン止まり緊急非難してから一夜が あけた。 まずは、エンジンをなおせるお店を探さ ねば。

朝から漁師さんや町の方々に聞いても函 館漁港 にはヤンマーエンジンの取扱店が ないと言われた。

重い足取りでヨタヨタとだいぶ歩いてた どり着いたヨットハーバー。 わかる人が来るからと言われ待つこと に。

あぁ、この前みたいにはうまくいかな い。 少し猫背になっていただろうか。 ため息と共に待つことに1時間半。

曇り空に一筋の光が差すようにまたまた 天使降臨しました!

伊藤マリンの伊藤さんというメチャク チャ親切な修理屋さんと出会うことがで きた!

伊藤マリンさんはヤマハの代理店なので 本来はヤンマーエンジンは見ることはで きないのだと説明した。 トヨタの人が日産のエンジンを直さない のと同じことだ。

でも、と穏やかに言葉を続ける。

「遠方からわざわざ来ていただいたので すから何とかしましょう!」 と言って、職人さんを連れてアマナ号ま で来てくださったのだ。

有り難い!

職人さんもとても親切で、一つ一つ僕に わかりやすく説明しながら原因を調べて くれる。 結局、原因はピストンオイルの磨耗によ るオイル上がりによる白煙と、燃料フィ ルターの汚れによる詰まりだったよう だ。 フィルターを新しいものに換え、合計三 回目のオイル交換をして添加剤を加え た。 最初のうちはなかなかエンジンがかから なかった。 かかってもの回転数が上がらず白い煙も モクモクだ。 それでも時間をかけてひと通りのメイン テナンスを終える頃にはエンジンも、落 ち込んでたぼくらの気持ちもどんどん調 子がよくなってきた。 有り難い、本当に有り難い。

今回のトラブルはかなりこたえていた。

2週間かけてエンジン載せ替えという大 仕事でかなりエネルギーを使っていたか らだろうか。 さすがに新しく載せたエンジンがその日 のうちに壊れて止まってしまうとは僕に もしげさんにとってもガックリ落ち込む のに十分な材料だった。 本当にこのまま旅が続けることができる のだろうか、と言葉が少なくなっていっ た。

それが、またここでも親切で優しくて、 こころ豊かなありがたすぎる方々と出会 いトラブルを乗り越えることができた。

これが寄せては帰る波なのか。

エンジンの修理を終わろうとした頃、今 度は地元の船関係の社長さんが心配して 来てくださった。

今野社長は地元のヨットマン。 「ここは漁港で引き波が立って揺れるか ら直ったら自分たちのヨット ハーバーに 係留すればいい」 と南北海道外洋ヨットクラブを紹介して くださった。 函館の赤レンガ倉庫の目の前、素敵な ハーバーに修理を終えたエンジンで入 港、今野社長のヨットの隣に留めさせて はもらった。 今野さん、次は風呂だなと言い、銭湯ま で僕らを車で送ってくれた。が、銭湯は 休み。「高くてもいいか?」と観光ホテ ルに車を入れる。 「ちょっと待っててくれ」 とフロントにいくと、 「大丈夫、お風呂は無料だからごゆっく り!」 と、言い残して白いラウンドローバーで ブブーンと走り去った。

トコトンありえない優しさに鷲掴みにさ れ、ただただ頭を下げる。

たくさんの出会いを重ね、日本一周ヨッ トの旅がますます好きになるのは自然な ことだと思う。

かなりこたえたトラブルのあとには、笑 顔のありがたみがガッツリ骨身にしみ た。

明日もう一度、そうもう一度試運転をし て確かめよう!

そして、

いざ太平洋へ!