原点回帰

ミゲル

会えた!

ミゲルにめぐり会えた!

その瞬間、すべてが原点に帰っていった。

二十歳のときからアメリカ、ヨーロッパ、インド、東アフリカを巡る旅に出た。
そんな中で、生きる意味を探す旅が始まった。
初めの冒険が、半年かけて2700キロ、
サハラ砂漠を独りでラクダと歩く旅。
次は、アラスカでイヌイットの人達と暮らしクジラ漁のための船作り。
両方とも生き物があまりに少なかったから今度はコロンビアからベネズエラまで、一人ジャンルを丸木舟で川下り。
暑いところ、寒いところ、ジャングル、

次はどうする?

その頃から地球上の極地を意識し始めていた。
この星で一番大変な場所で生きる知恵を学べば強い人間になれるんじゃないか、いや今だから言おう。
世界の極地で細胞レベルでバランスをとることができれば、女の子にモテるんじゃないかと信じ始めていた。

砂漠、冬のアラスカ、ジャングル、
よし、次はアンデスの人たちに高地で生きる知恵を学ぼう

そしてたどり着いのが19年前のペルー・クスコだった。

アンデスで、地元の人たちが使う交通手段は何だろう?

最初はロバでアンデス山脈を回ろうと熱く燃えていた。
頭に描いたのは、
カルピス劇場「母をたずねて三千里」のマルコの旅。
ポンチョをきで肩には白い猿をのせロバに乗って青き山脈を行く。素晴らしい、それで行こう!
と、まずは白い猿を探すことから始めた。
そんなさなか、ペルーからボリビアまで向かう時のこと。バスにゆらながらチチカカ湖に浮かぶ葦船と出会った。

これだ!
これでいこう!

意味も理由もあとからついてくればいい。

白い猿探しを忘れ、葦船でチチカカ湖一周を目指すことに決めた!

当時の、ガイド仲間と旅人でお祭隊をクスコで結成。
そして、鼻息ブンブンでチチカカ湖の浮き島ウロス島に向かった。

まずは、葦船を一から作らなければならない。
その美しい姿を作り出す知恵を教えてもらえる先生を探さなければ!

そこで、出会ったのがミゲルだった!
ウロス島一番の若き葦船職人だった!

彼との出会いが、僕の葦船人生すべてのはじまりだったのだ。

ミゲルと彼の家族とお祭隊のみなで葦船を作り上げた。037

惚れ惚れする船だった。
その葦船に帆を揚げ、櫓(ろ)を漕ぎ、4ヵ月かけてチチカカ湖一周、村々を回る旅をやり遂げた。
感動の旅のおまけは、途中で出会った海洋冒険家から誘われた、大型の葦船で太平洋を渡る国連のプロジェクトへの参加の切符だった。
それから、太平洋、大西洋を葦船で舞う。
が、三度の国際プロジェクトは、横断成功を達成できないまま終わりを告げた。

今度は、僕らの番だ!
葦船での太平洋横断の旅を再開するいま、どうしてもチチカカ湖の上に立ち、ミゲルに会いたかった。
あって報告をしたかった。

だけど、昔は20しかなかった浮き島は、いまは、70を越えていると言う。
19年前の葦船の師匠はまだ居るのだろうか?
居るとしても、どの島に?
手がかりは、ミゲルという名前だけ。
名字もわからない。

港で聞く。
「葦船職人のミゲルを知りませんか?」
「俺が知ってる連れて行ってやろう!」
素晴らしい、一発だ!
ウロス島に向かうモーターボートのフェリックス船長と固い握手を交わす。

だが、彼のボートに乗るとまず別の浮き島に連れて行かれ、島の人に僕がとっくに知っている浮き島の歴史と文化の話を聞かされ、お土産のタペストリーまで買わされて、いつの間にか旅行者と共に葦船に揺られる観光パックに紛れ込んでしまっていた。

まずい!

「フェリックス船長、頼む、ミゲルのいる島に行ってくれ!」
「大丈夫、慌てるな!」
と、結局わりかしすぐに本当にスルリとミゲルの島にモーターボートで連れて行ってくれた。
島につくと、ミゲルはいなく、当時8歳だったミゲルの娘が今は28歳。赤ちゃんを抱いて出迎えてくれた。
ミゲルと奥さんは、今買い出しに出ていて、もうすぐ戻ってくると言う。

すっかりたくましくなった娘のリーナと昔話をして待っていると、
「ミゲルがボート帰ってきたよ!」
と、誰かが
僕に叫んだ。

足をからませて急いで島の裏へ回る。
そこには小さなボートに彼と彼の奥さんの姿が。

「ミゲル、アチャラクチ!」昔のあだ名で呼ぶ。
僕を認めると、ちょっと太ったが、昔と何も変わらぬ笑顔がそこにドンとあった。

帰ってこれた。

ああ、

ここに帰って来れたんだ。

ゼロに帰って来れたんだ。