ボリビアにて葦船の乗組員を訪ねる!

Expedicion Matarangi(エキスペディション マタランギ)

数千年前に太平洋、大西洋を渡っていた海洋 民族がいくつもの足跡を残している。 ことば、衣類、建築様式、狩りや漁のやり 方、呪術的風習、壁画や彫刻、陶芸など、各 地で明らかに共通した文化風習がある。

古代船(葦船)で海を渡った民族の可能性を証明するための実証航海を試みたのが国連の公式プロジェクト、エキスペディション マタ ランギだ。

ラパヌイ(イースター島)、南米チリ、スペイ ンで太平洋横断、大西洋横断に1997年から 2002年まで3度の挑戦をしてきた。 ボクはそのプロジェクトに造船の段階から作 り手として参加し、クルー(乗組員)として葦 船で海を旅してきた。

その時、汗と涙と誇りを胸に共に時を過ごし たマタランギ号のクルーがボリビア側のチチ カカ湖に住んでいる。

名前は、Benjamin Alatia、 通称、「ベンハ」

先祖代々の葦船職人の末裔であり、実際に葦 船マタランギ号で共に航海をした兄弟だ。

彼に会うためにペルーからボリビアへとチチ カカ湖沿いに国境を越えた。 (*チチカカ湖は55%がペルー45%がボリビア に2分されている)

彼が住んでいるのはスリキ島。 なぜか葦船職人が大半を占める謎の島なの だ。

驚くべき謎の一つは、彼らスリキ島の住人は チチカカ湖に住みながら、湖では必要ない海 を渡るための30mを越す海洋型葦船の作り方 を知っていたのだ。

数百年、いや数千年も誰にも知られずに、 「いつかその日のため」に、先祖代々受け継 いでいたのだろう。

もちろん、 なぜ? の答えは彼らにさえわからない。

わかることは、彼らの匠の技がなければ葦船 による太平洋、大西洋横断は不可能に近いこ とだ。

僕らが葦船での太平洋横断を目指す今、ベンハを中心に葦船職人の仲間たちの協力は不可 欠だ。

アポなしで12年振りに会えるかどうか不安がないとは言い切れないが、この流れなら絶対 に会えると根拠のない確信が気持ちの真ん中 にあった。

ペルーから国境を越え、彼らの住むスリキ島 の定期船のある港をズンズンと目指し、バス に揺られる。

が‥‥、 心地よい居眠りのあと、目覚めると雪をま とった5000mを越えるアンデスの山々がバスの窓のすぐ目の前に迫っていた。 「あぁ、なんと夢のように美しい‥‥‥ ん、待てよ!チチカカ湖はどこにいった!!」

ヤバい! 寝過ごした!

30分も寝過ごしてバスは首都のラパスに向 かってひた走っている! これではスリキ島への定期船に乗り遅れる!

バスの運転手にしがみついて近くの小さな小 さな街で停めてもらう。

慌てて降りたことが本当によかったのかと疑 うような荒野。 そこにポツンと置き去られた乾いた町。 野良犬があきらめたように歩いている。

まずい、戻れるだろうか?

国道を通り過ぎるバスに乗せてもらおう。 睨むようにバスが通るたびにうったえる。

止まってくれ!

しかし、どのバスもパンパンの乗客で無理無理を意味する冷たいホーンをパパーンと鳴ら し、むなしく手を挙げる僕を通り過ぎる。 途中乗車はあきらめるしかないのか。

途方に暮れるぼくの視界の端っこに「TAXI」 とかかれたボロボロの黒いカローラを乾き きった街の角に捉えた!

駆け寄って噛みつくように、寝ている運転手 に、 「ワタハタまで行ってくれ~」

願えばかなうものだ。(運転手にかなりボラ れたが‥)

一時間遅れの午後2時に定期船の発着所にど うにか着いた。 が、悲しいかなほんの15分前にすでに出てい て、次の便は2時間後だという。 それでは、今日中に宿には帰れない。 明日の朝早くにはどうしてもプーノに帰らな くてはならない。

ツイてない。

もはやこれまでか!

肩を垂らしてあきらめかけた時に、 「ヘーイ、ジン!」 と、僕を呼ぶ声が!

振り向くと、なんと葦船のプロジェクトで、 ラパヌイ、チリ、スペインと一緒に葦船を 作ってきた職人パンチョとマルセリーノが過 ぎた時間を感じるシワを笑顔にのせて走り よってきた。

一体なんでここにいるんだ? 当たり前だが突然のボリビア訪問をなかなか 信じてくれない。 それでも何はともあれ、懐かしさと嬉しさの ダンスの中、昔話にパパっと花が咲くまでに 時間はそれほどかからない。 話せば、彼らも定期船に乗り遅れて困ってい たところだとわかった。

「ベンハはどこに住んでいる?」 一番気になっていることを聞くとマルセロ は、 「ベンハは?今は島にはいないよ。ここから すぐそばの葦船博物館で働いているよ。 もちろん他の葦船の仲間もみんなそこにいる よ!」

そうなのか! ベンハも他の葦船職人たちも、スリキ島から 便利のいい港の近くの対岸に移り住んでいる と言うのだ。

そこには葦船博物館があり、ちょっとした観光名所になっているという。 そこに葦船の一族が居るのだ。

居眠りして寝過ごして、 荒野の街角に黄昏て、 定期船に乗れなくて、 よかったのだ。

もし、定期船に乗れてたらすれ違いで会えて なかったのだ。

チョーラッキー。

早速パンチョとマルセロに案内され、3L入り のコカ・コーラ1ケースを手土産として肩に 担ぎ、すぐ近くの(実際には2km以上離れて いたが)葦船博物館へとザクザク歩いた。

博物館の門をくぐると、葦船職人の面々が 次々と驚きの声と人なっこい笑顔で集まって きた。 フェルミン、ポルフィリオ、セルソ、そして 長老のパオリーノ・エステバンも!

「カミサラーキ!」 「ワリキーワ!」 アイマラ語で挨拶を交わし、過ぎた思い出を 追いかけるようにお互いに元気でやっている ことを喜び合う! 長老のパオリーノとっくに80歳を越えている はずだが、まだまだ何かやる気満々だ! 嬉しい再会に言葉が弾む。

でも、一番会いたかったベンハの姿がない。

どうやら、チチカカ湖漁業組合の会議に出席 しているらしい。 よし、突然行っておどかしてやろう! 博物館を離れ、会議をしている家に向かう。

ベンハは他の葦船職人とは違う。 信頼できるのは、実際に葦船マタランギ号で 太平洋、大西洋の長期航海を共に経験してい る葦船職人であることだ。

ベンハは航海を通して、葦船の作りの修正箇 所を常に把握しているのだ。

僕は船作りの技術や経験のある他の葦船職人 の葦船よりも、実践から生み出す進化した葦 船作りを求めていた。

僕らが目指す太平洋横断の葦船はベンハを中 心に作り上げたいとだいぶ前から決めてい た。 もちろん、乗組員としての信頼感は言うまで もない。

博物館から乾いた道をしばらく歩き日干しレ ンガでできた漁業組合が会議している家に着 くと、ベンハを呼び出してもらった。

少し待つと、あのもの静かで鋼のような男が手にノートを抱えてゆっくりと扉を開けて出 てきた。

目が合った。 パッと笑った。 時間が一瞬止まり、溶けて、埋められ、お互 いの全てを理解し合った。

7人の航海士で大海を渡る。

そのうちの1人がベンハだ。 葦船について世界で一番知り尽くしている 男。 航海中、いつも同じ場所から動かず鋭利な感 覚でただ海を、空を、雲を、風を感じ、少し の変化も見逃さない男。

葦船太平洋横断プロジェクトの再開の話を彼 に告げた。

「一緒に海を越えよう」と手を伸ばす。

「もちろん」 と、手を固く握る。

離れていた回路がまたつながった。

葦船太平洋横断という目的のために、ここチ チカカ湖でベンハと再び巡り会えた嬉しさが 眩しく光った。
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博物館に戻った後、葦船職人みんなに太平洋 横断プロジェクトの話を告げた。 ただし、ベンハを葦船作りの責任者にする事 は人間関係がちょっと複雑なためまだ伝えな かった。

ベンハとは、まだまだ話したりないので、泊 まっていた街まで一緒に来てもらい夜通し次 のプロジェクトの事を話し合った。 ・必要な葦の量値段の見積もり ・帆の大きさ、形、素材 ・マストの数、高さ、太さ、木の種類 ・船の長さ、幅、高さの割合 ・葦船本体の素材の割合 ・小屋の形、大きさ ・キール(流れ止め)の大きさ、取り付け方 ・舵の大きさ、素材取り付け方

夜遅くまで話しても足らず、早朝から僕らの 出発時間ギリギリまで話し合った。

別れの時がきた。 満足げな笑顔で挨拶を交わす。

また会おう!

チチカカ湖の湖岸で、一つの影が二つに離れ ていった。