海族便り~岩手県大船渡港より~

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朝靄に浮かぶ。

岩手県大船渡港は天然の港として長い長い年月を重ねているのだろう。
入り口は狭く、中に入ると四方をぐるりと山に囲まれていて、それまでの暴れた海がピタリと鏡になる。

広さも程よく風波も立たない。

世界有数の港に違いない。

ヨットを作業船につなげているとすぐに地元大船渡のヨットクラブの方が駆けつけてくれた。
クラブのヨット係留場につなぎませんか?と言ってくれた。
有り難い。
4艇のヨットが並ぶ岸壁につけさせて頂いた。

ただ、1m近く地盤が沈下したため岸壁が水 面ギリギリだ。
ヨットクラブの伊藤さんは、
「震災後に、ヨットがここに入るのは初めて ですよ。ようこそいらして下さいました」
と、顔をほころばせる。
僕らも、「大船渡港はまだ入れない」と聞い ていたし、復興中なのに失礼に当たらないかと思っていたので伊藤さんの言葉に肩の力が スーッと抜けた。

こうして、またヨットが入ってくるの時が来るのを待っていてくれていたのだろうか。
全ての方が伊藤さんと同じ思いとは思わないが、 やっぱりうれしくい。
「ホテルの日帰り湯があります。歩いては行けないので私の車で行きましょう。風呂から上がったら電話してくださいこちらまでまた 送りますから」

頭を下げて心の中で手を合わす。

八戸以来5日振りの大船渡の湯にドブンと浸かる。
こころの真ん中から骨の髄まで温まる。

「あぁ、この旅にでてよかった」

と思える瞬間を胸に抱く。

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海族便り~函館港から下風呂港へ~

まさかまたトラブルに見舞われるとは誰が予想するだろうか!

そのぐらい津軽海峡は穏やかな朝だった。

朝の陽が眩しい。
離れ難い気持ちが詰まっている。

函館の港は優しかった。
出会う人みんな暖かかった。

街もお洒落で賑やかだった。
歴史もあり、華やかな街だった。

また、来よう。
三泊四日の短いが深い深い北海道島の滞在の記憶は美しい。

函館のみなさま本当にありがとうございました!

静かな海を渡る。
3日前から葦船の仲間のユウがアマナ号に合流している。
彼にとっては処女航海だ。

西からの風に帆を上げる。
ヨットに乗っているのに、最近エンジンがエンジンがと言い過ぎたよ、ホント。
僕らのエンジンは、風を受ける帆だ。
そう、もしかすると原点に帰るためのトラブルだったのだろうか。

流れる風にふくらむ帆は観ていて美しい。

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それにしても津軽海峡を流れる潮の速さは半端じゃなかった。
向かう方向より50度も東に舵をとる。
初めて舵を握るユウの肩に力が入っているのがわかる。

下北半島を渡りきったころに風が止まった。
直したばかりのエンジンをかける。
一発でかかった!
問題ない。
そうもった。

30分くらいたったころ、ふと排水が気になった。
少し少ないような気がする。

船に潜り込みエンジンルームのフタを開ける。

あぁ、水浸しだ!

冷却の為の海水がどこからか漏れている。
一本一本のホースを点検する。
穴は開いていない。
どこからだ!
どこから漏れているのか!

海の上での修理は可能なのか?
あふれる水をかきだしてみる。

わかった!吸水ホースのジョイント部のようだ。 原因がわかればこっちのもの。

エンジンを止め吸水の元栓を閉じる。

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2年前、初めての航海の初日にホースの破裂で水浸しになった。
一緒に乗っていたヨットの師匠田中さんがてきぱきと揺れる海上で直したのを思い出す。
今度は俺の番だ。
ホースの破裂はあれから2度直した経験がある。
インベラごと外してみると、吸水のホースを止めているバンドが切れていた。
幸い予備があったので丁寧に取り付けた。

エンジンをかける。
なに事もなかったかのようにブルルンルンと調子がいい。

うれしいのは、修理する事になれ始めていること。
壊れても直せる。
直せなかったらセールで走ればいい。
風がなければ待てばいい。

しげさんも、ユウも信頼してくれていた。

そして、事なきを得て下風呂港にちょっとだ け誇らしげに降り立った。

ここには白濁の素晴らしい温泉があるという。

三つの陽に焼けた男の背中が温泉街へ向かった。

海族便り~北海道函館港より~

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エンジンがどうにか直った!

エンジン止まり緊急非難してから一夜が あけた。 まずは、エンジンをなおせるお店を探さ ねば。

朝から漁師さんや町の方々に聞いても函 館漁港 にはヤンマーエンジンの取扱店が ないと言われた。

重い足取りでヨタヨタとだいぶ歩いてた どり着いたヨットハーバー。 わかる人が来るからと言われ待つこと に。

あぁ、この前みたいにはうまくいかな い。 少し猫背になっていただろうか。 ため息と共に待つことに1時間半。

曇り空に一筋の光が差すようにまたまた 天使降臨しました!

伊藤マリンの伊藤さんというメチャク チャ親切な修理屋さんと出会うことがで きた!

伊藤マリンさんはヤマハの代理店なので 本来はヤンマーエンジンは見ることはで きないのだと説明した。 トヨタの人が日産のエンジンを直さない のと同じことだ。

でも、と穏やかに言葉を続ける。

「遠方からわざわざ来ていただいたので すから何とかしましょう!」 と言って、職人さんを連れてアマナ号ま で来てくださったのだ。

有り難い!

職人さんもとても親切で、一つ一つ僕に わかりやすく説明しながら原因を調べて くれる。 結局、原因はピストンオイルの磨耗によ るオイル上がりによる白煙と、燃料フィ ルターの汚れによる詰まりだったよう だ。 フィルターを新しいものに換え、合計三 回目のオイル交換をして添加剤を加え た。 最初のうちはなかなかエンジンがかから なかった。 かかってもの回転数が上がらず白い煙も モクモクだ。 それでも時間をかけてひと通りのメイン テナンスを終える頃にはエンジンも、落 ち込んでたぼくらの気持ちもどんどん調 子がよくなってきた。 有り難い、本当に有り難い。

今回のトラブルはかなりこたえていた。

2週間かけてエンジン載せ替えという大 仕事でかなりエネルギーを使っていたか らだろうか。 さすがに新しく載せたエンジンがその日 のうちに壊れて止まってしまうとは僕に もしげさんにとってもガックリ落ち込む のに十分な材料だった。 本当にこのまま旅が続けることができる のだろうか、と言葉が少なくなっていっ た。

それが、またここでも親切で優しくて、 こころ豊かなありがたすぎる方々と出会 いトラブルを乗り越えることができた。

これが寄せては帰る波なのか。

エンジンの修理を終わろうとした頃、今 度は地元の船関係の社長さんが心配して 来てくださった。

今野社長は地元のヨットマン。 「ここは漁港で引き波が立って揺れるか ら直ったら自分たちのヨット ハーバーに 係留すればいい」 と南北海道外洋ヨットクラブを紹介して くださった。 函館の赤レンガ倉庫の目の前、素敵な ハーバーに修理を終えたエンジンで入 港、今野社長のヨットの隣に留めさせて はもらった。 今野さん、次は風呂だなと言い、銭湯ま で僕らを車で送ってくれた。が、銭湯は 休み。「高くてもいいか?」と観光ホテ ルに車を入れる。 「ちょっと待っててくれ」 とフロントにいくと、 「大丈夫、お風呂は無料だからごゆっく り!」 と、言い残して白いラウンドローバーで ブブーンと走り去った。

トコトンありえない優しさに鷲掴みにさ れ、ただただ頭を下げる。

たくさんの出会いを重ね、日本一周ヨッ トの旅がますます好きになるのは自然な ことだと思う。

かなりこたえたトラブルのあとには、笑 顔のありがたみがガッツリ骨身にしみ た。

明日もう一度、そうもう一度試運転をし て確かめよう!

そして、

いざ太平洋へ!

海族便り~小泊港から函館港へPART2~

当別港はダメだ。

エンジンを動かすためにやれることは全部 やった。でもかからない。

港の入り口までセールで行った。 風がやんだで潮で流されはじめる。浅い。 座礁ポイントまで300m。 どうしょう。

アンカーを下ろす。 止まったうだ。 漁船に引いてもらおう。 漁協に電話するけど出ない。

どうする?

海上保安庁に電話するしがないのか? そう思っていると、函館に向けて風が風が吹 いた。

一か八かいくしかない! 当別港はあきらめた。

帆を上げて風を逃がす。 座礁ポイントがせまる。 アンカーを上げて帆に風をいれる。 風がポンっとはらんだ。

よし。

暗礁をかわせた。 と思ったら次は定置網のブイが目の前に。今 度はおれらが網にひっかかる。 セールを右に左にタックして逃れる。 ホッとする間もない。 次はマンションみたいな大型コンテナ船が目 の前に次から次へと嫌がらせのようにやって くる。 まるでスーパーマリオだ。

風を受けて、函館港に向けて2時間走った。 風が強くなった!

赤函館港の灯台が見えた。 右に見て回り込む。

岸壁はあいていた。 しげさんと呼吸を合わせる。 ジブセイルを放し船足を止める。 惰性で岸壁に突っ込む。 しげさんが岸壁に飛び降りた。 力一杯ロープを引く。 止まった。

しげさんとガツッと握手をする。

着いた。

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海族便り~小泊港より(12日目)~

エンジンがガチャンと壊れた。

見つからないはずの代わりのエンジンがスト ンと見つかった。

四国から津軽まで、ドンブラコ (トラックでだけど) と新しいエンジンがやってきた。

壊れてしまったエンジンに、今までありがとうございました!
と、頭を下げて別れを告げた。

新しいエンジンに、これからよろしくお願い します、と告げボルトをキリリと締めた。

無事にエンジンの乗せ換えが終わった。

もう一度試運転して明日に備えよう!

みなさま、ありがとうございました!
明日、本州を離れ津軽海峡を渡り函館を目指 します!

文、写真 石川仁

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海族便り~小泊港より~

新しいエンジンが四国から着くまで、時間がたっぷりあるので、網戸を作った。

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ここ!東北ではまだ梅雨が開けてないためまだまだ爽やかに涼しい。昨日の最高気温は27度だった。
それでも暑さに備えて、網戸装着!
うん、まずまずの出来だ。

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ハッチにスポッ!

海族便り~ヨット日本一周の理由~

どうして、ヨットで日本一周をしているの か?
知らない方もいると思うので、その経緯を話してみたい。

7年間続いた国連の公式プロジェクトエクスペディション マタランギを終え帰国。
カムナ葦船プロジェクトを立ち上げる。

そして8年前、高知県から伊豆諸島まで渡った葦船 カムナ号。
船長として、命を預かる身として航海に対して的確な指示が出せなかった自分の未熟さを痛いほど知らされたのが今回の旅の始まりだ った。
その未熟さのせいで多くの人に心配や迷惑をかけたのも事実だ。
とにかく、まずはプロジェクトでの数百万円 の借金を返済する事。
当たり前だがそれまで 旅のことは封印する。
すべては葦船太平洋横断のためと心に決め、コツコツ働き返していった。 6年かかって返済が終わった。

次はヨットを学ぶこと。

葦船での太平洋横断を目指すなら、まずはヨットで模擬航海をする必要がある。
北太平洋の嵐を体験していない船長が嵐の中で暴れる葦船の上で何を指示できるというの か。

しかし、マズい。ヨットには乗ったこともな い。

それならば、ヨットで太平洋を渡る前にまず は日本を回りながらヨットのことを学ぼうと決めた。

ホップ!ステップ!ジャンプ!

まずはヨットで日本一周。ホップ!

次にヨットで太平洋横断の模擬航海。ステッ プ!

最後に葦船での太平洋横断。ジャンプ!

若い時と違い、いつの間にか確実に一歩一歩進まなければ たどり着かないと思える年齢にも達してい た。

恥ずかしいがヨットを手に入れたとき、何もかも全くわからなかった。
20本近くの色とりどりのロープがきれいだなと思った。
どのロープを引けばセールが上がるのかさえもわからなかった。 セールも風に対してどの角度にするのか正確 にはわからない。
葦船とは全く違う別の乗り物だ。 ズブの素人同然だ。
気持ちいいほどゼロからのスタート。

これでいいのだ!

まずは教えてもらわないと始まらない。
名古屋の葦船作りでお世話になったヨットマ ンの田中さんに相談した。
広島から伊勢まで一緒に航海しその間に教え てもらいたいと、今考えるとぞっとするよう な無謀なお願いをした。
それでも田中さんは快諾してくださり、僕は処女航海へと一歩進む。
海図の見方、書き込み方、航海術のこと、セールの上げ下げに角度、エンジンのトラブルの対処の仕方まで短時間だが素人の僕に根気強く教えてくれた。

その5日間が全てだった。

そのあと1ヶ月間ひとりで毎日毎日練習を続け、伊勢から千葉の母港まで1人で乗って帰った。
無事に着いたからよかったものの、天気のことがわからず嵐のような日を選んで。

その経験だけでヨットで日本一周の旅にでることを決めた。
ひと月の経験では無謀だと言う人も1人ではなかった。

朝出港して、夕方寄港する1日の旅だったらできる。
そして1日の旅が毎日毎日つなげていったら単純に日本を回って帰ってこれるに違いない。
その間にヨットのことをじっくり学ぼう。
トラブルを乗り越えながら経験値をあげていこう。

そして出港してからすでに延べ240日が過ぎた。
寄港した港の数も100箇所を過ぎ、距離にすると5,800キロを超えた。
途中から、葦船副船長のしげさんも乗ってくれた。
その間にはいくつものトラブルがあった。
マストのワイヤーが切れた。
エンジンはあっちこっち故障した。
セイルをカットしなおし、ファーラーも教わりながら取り付けした。 業者に任せるのではなく、一つ一つの問題を先輩方に手伝ってもらったり、電話で聞きながら教わり、自分の手で悩みながら修理を繰り返した。
もし、トラブルが一度もなく日本一周が終わっていたらヨットの修理一つできない素人同然の僕がいたに違いない。

そう、この2年間でいろんなトラブルが僕を育ててくれたんだと今なら思える。
きっとそのうち、一つ一つの故障やトラブルが笑える思い出に変わることに違いない。
そして、いつの日かヨットを始める後輩たちに修理の仕方をアドバイスしている自分に出会いたいものだと思う。

次の目標は、ヨットでの太平洋横断の旅。
そこにはまだまだ未知な困難やトラブルが待っているに違いない。

それでも越えていきたい。

そのときは一回り大きな自分に会えるだろうか。

そのときは、葦船での太平洋横断の船長として必要なものが身についているだろうか。

すべては、海の手紙を運ぶため。

そのために生まれてきたのだから

(文、石川仁)

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