海族便り~小名浜港よりパート2~

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エンジンが宙を舞う。

エンジンはヨットから外しオーバーホールする事にした。

すべてバラバラにして、ダメな部品を交換してキッチリ直す。

迷いはあった。
金額がかなりすること、時間をかけてオーバーホールすると相方しげさんが時間切れとなり一緒にゴールできなくなる。
とりあえず動くようになったエンジンで、まずしげさんと千葉までゴールしてその後オーバーホールする方がいいのか?

しげさんに聞いてみる。
「オレの事は気にしなくて大丈夫だよ」
なにが大切か考えてみな、とでもいうように迷いなくこたえた。

修理してくれている親方は、
「このままの状態で引き渡すのは辛いなぁ」と、ふたつのうち片方が完全な燃焼をしないエンジンで走る事に職人として納得できないのだ。

親方に尋ねてみた。
「来年、太平洋横断へ出れるように直りますか?」
「大丈夫!」
と、ミサキマリンの親方前川さんが答える。この人は信頼できる。

よし、決めた。
ここでキッチリ直そう!

まずは、アマナ号からエンジンが外され空に浮かぶ。

エンジンを開けてみると数年使われていなかったからか燃料系の圧力ポンプ、燃料弁など各部品のサビや劣化がある。素人の僕がみても状態はよくない。
白煙とパワー不足は前のオーナーのときに焼き付きを起こしていて傷が付き片方のピストンリングが固着していて十分な燃焼が起きていない事などがやはり原因だとわかる。

ピストン、燃料弁をはじめ各部品を交換し、サビを、ゴミを、水垢、塩の結晶を丁寧に取り除く。
僕も勉強になるので手伝わせてもらっている。
親方の前川さんはボクの初心者丸出しのバカげた質問にも優しく的確に答えてくれる。

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旅の最後の最後にこうやってエンジンを磨きながらいろいろと思う。

旅のはじまりは、なんと幼いヨットの知識と不十分な整備で日本一周へと飛び出したことだったか。
もちろん、今もまだまだわからないことだらけだ。
それでも手にして磨いているエンジンパーツがどこに収まり、何の働きをするのかがわかってきた自分がいる。

田中さんをはじめいろいろな方に教わりながらセールの扱い方も少しずつ覚えてきた。

そう、あとゴールまで300キロ。

旅立つ前とは違う僕がいる。
修理が終わるまで、もう一度僕自身も気持ちを整えて、黒潮流れる千葉県南房総へと向かおう。

「百里の道を行くときは、九十九里をもって半ばとす」

海族便り~小名浜港より~

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おいらも、今回はさすがにへこんでる。

エンジンのトラブル。

まただ。

トラブル、トラブル、トラブル。

いったい何度目だろうか。

いったい何が起こってるんだ。

人間万事塞翁が馬、寄せては返る波のように喜怒哀楽が人生の彩りを‥‥。

もちろん頭ではわかっている。
これにも意味があるのはわかってはいる。
でも、さすがに辛い。

23日に福島第一原発沖を渡りここ小名浜港に辿り着いた。

そして、5日が過ぎた。

相馬港からここ小名浜港まで60マイルを越える12時間の航海だった。
福島原発付近でエンジントラブルやセイルのトラブルで入港できる港などなかった。

やっぱりずっと心配していたんだと思う。

実は航海中に青森で載せ替えたエンジンは、回転数が上がらず白煙を吹き出し息も絶え絶えだった。

どうにか小名浜まで盛って欲しい。
静かな風も向かい風なため、セーリングでは着くことは不可能だ。
今回はエンジンに頼るしかない。

石巻で東北ヤンマーにお願いしたからキッチリ整備されていると信じていた。いや、信じたかった。

でも‥‥。

俺もしげさんも白煙を吹く度に会話が止まる。
排水に油が混じり、いたずらに海を汚してる。

ごまかしごまかし、福島県小名浜港に神経衰弱をたぐり寄せるように到着。

単純にホッとした。

そして、
翌朝24日4時30分。

エンジンがかからなかった。

予感はしていた。
やっぱり、
と、つぶやいたかもしれない。
しげさんと目が合う。
苦笑しか選択しなし。

それら地元のエンジン屋さんに整備をお願いすると、簡単に頼むよりまずは自分でなおしてみな。
とアドバイスを教えてくれた

教えてもらった通り、燃料の不具合をチェック。
圧力ポンプからどうしても燃料が送られてしない。

自分でいじる限界を感じた。いわきマリンさんに整備お願いした。

どうやら、このエンジンは元々状態がよくないとの冷たい言葉が現実感なく耳を通り過ぎた。

そして、今日で5日目。

まだ、直っていない。

海族便り~宮城県石巻港より~

ぼくらはいま「ヨットの神様」と一緒にいる。

神様との出会いは八戸の港だった。
神様というのは僕らが付けたあだ名でもちろん生身の人間だ。

名前は笹岡耕平さん。
僕は全く知らなかったが、世界一周レースをはじめ数多くの国際レースに参戦。
時にはオーガナイザーとして
レースチームを編成し日本ヨット界に歴史を刻んでいる。
ヨットに関する著書はディンギーヨットの教科書本や6年間ヨーロッパ地中海を船旅した本など20冊以上出版されている。
プロのヨットマンとして50年の経験、ヨット走行距離は合計150,000km。
いろいろ挙げたらきりがない。
70歳を越えた今でもメチャクチャ元気で、ひとりヨットに乗り日本一周をされている。(ちなみに日本一周は十数回目)

つまり、

僕らにとってはまさにヨットの神様なのだ!

そんな笹岡さんと偶然八戸港で出会ってからすでに1週間が過ぎている。
セーリングのこと、太平洋横断のこと、エンジンに保存食にヨーロッパのバーのことなど、どんな質問をしても何でも答えてくれる。
僕らも遠慮なく聞きまくる。
お陰で、セーリングも上達した。
最初は神様のヨットと一緒に出航してもすぐに見えなくなり、目的港まで3時間遅れの到着だった。でも昨日はしっかりついて行き石巻港までちょっと遅れで入港できた。
もちろん、手加減してくださったし、神様はクルージングヨットなので性能は僕らの艇の方が上なのだが‥‥。

ヨットの神様との出会いでぼくらは「何か」に触れ始めている気がする。

もしも、あの時エンジンが壊れてなかったら出会えなかった。
そう思うと、僕らの進んでいる道のりには愛すべきいろいろな意味があるのだと大きくうなずいてしまう。

アマナ号日本一周も旅の最終コーナーを回ろうとしている。

次はFUKUSHIMAへ!

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海族便り~岩手県大船渡港より~

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朝靄に浮かぶ。

岩手県大船渡港は天然の港として長い長い年月を重ねているのだろう。
入り口は狭く、中に入ると四方をぐるりと山に囲まれていて、それまでの暴れた海がピタリと鏡になる。

広さも程よく風波も立たない。

世界有数の港に違いない。

ヨットを作業船につなげているとすぐに地元大船渡のヨットクラブの方が駆けつけてくれた。
クラブのヨット係留場につなぎませんか?と言ってくれた。
有り難い。
4艇のヨットが並ぶ岸壁につけさせて頂いた。

ただ、1m近く地盤が沈下したため岸壁が水 面ギリギリだ。
ヨットクラブの伊藤さんは、
「震災後に、ヨットがここに入るのは初めて ですよ。ようこそいらして下さいました」
と、顔をほころばせる。
僕らも、「大船渡港はまだ入れない」と聞い ていたし、復興中なのに失礼に当たらないかと思っていたので伊藤さんの言葉に肩の力が スーッと抜けた。

こうして、またヨットが入ってくるの時が来るのを待っていてくれていたのだろうか。
全ての方が伊藤さんと同じ思いとは思わないが、 やっぱりうれしくい。
「ホテルの日帰り湯があります。歩いては行けないので私の車で行きましょう。風呂から上がったら電話してくださいこちらまでまた 送りますから」

頭を下げて心の中で手を合わす。

八戸以来5日振りの大船渡の湯にドブンと浸かる。
こころの真ん中から骨の髄まで温まる。

「あぁ、この旅にでてよかった」

と思える瞬間を胸に抱く。

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海族便り~小泊港から函館港へPART2~

当別港はダメだ。

エンジンを動かすためにやれることは全部 やった。でもかからない。

港の入り口までセールで行った。 風がやんだで潮で流されはじめる。浅い。 座礁ポイントまで300m。 どうしょう。

アンカーを下ろす。 止まったうだ。 漁船に引いてもらおう。 漁協に電話するけど出ない。

どうする?

海上保安庁に電話するしがないのか? そう思っていると、函館に向けて風が風が吹 いた。

一か八かいくしかない! 当別港はあきらめた。

帆を上げて風を逃がす。 座礁ポイントがせまる。 アンカーを上げて帆に風をいれる。 風がポンっとはらんだ。

よし。

暗礁をかわせた。 と思ったら次は定置網のブイが目の前に。今 度はおれらが網にひっかかる。 セールを右に左にタックして逃れる。 ホッとする間もない。 次はマンションみたいな大型コンテナ船が目 の前に次から次へと嫌がらせのようにやって くる。 まるでスーパーマリオだ。

風を受けて、函館港に向けて2時間走った。 風が強くなった!

赤函館港の灯台が見えた。 右に見て回り込む。

岸壁はあいていた。 しげさんと呼吸を合わせる。 ジブセイルを放し船足を止める。 惰性で岸壁に突っ込む。 しげさんが岸壁に飛び降りた。 力一杯ロープを引く。 止まった。

しげさんとガツッと握手をする。

着いた。

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海族便り~小泊港より(12日目)~

エンジンがガチャンと壊れた。

見つからないはずの代わりのエンジンがスト ンと見つかった。

四国から津軽まで、ドンブラコ (トラックでだけど) と新しいエンジンがやってきた。

壊れてしまったエンジンに、今までありがとうございました!
と、頭を下げて別れを告げた。

新しいエンジンに、これからよろしくお願い します、と告げボルトをキリリと締めた。

無事にエンジンの乗せ換えが終わった。

もう一度試運転して明日に備えよう!

みなさま、ありがとうございました!
明日、本州を離れ津軽海峡を渡り函館を目指 します!

文、写真 石川仁

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海族便り~小泊港より~

新しいエンジンが四国から着くまで、時間がたっぷりあるので、網戸を作った。

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ここ!東北ではまだ梅雨が開けてないためまだまだ爽やかに涼しい。昨日の最高気温は27度だった。
それでも暑さに備えて、網戸装着!
うん、まずまずの出来だ。

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ハッチにスポッ!

海族便り~ヨット日本一周の理由~

どうして、ヨットで日本一周をしているの か?
知らない方もいると思うので、その経緯を話してみたい。

7年間続いた国連の公式プロジェクトエクスペディション マタランギを終え帰国。
カムナ葦船プロジェクトを立ち上げる。

そして8年前、高知県から伊豆諸島まで渡った葦船 カムナ号。
船長として、命を預かる身として航海に対して的確な指示が出せなかった自分の未熟さを痛いほど知らされたのが今回の旅の始まりだ った。
その未熟さのせいで多くの人に心配や迷惑をかけたのも事実だ。
とにかく、まずはプロジェクトでの数百万円 の借金を返済する事。
当たり前だがそれまで 旅のことは封印する。
すべては葦船太平洋横断のためと心に決め、コツコツ働き返していった。 6年かかって返済が終わった。

次はヨットを学ぶこと。

葦船での太平洋横断を目指すなら、まずはヨットで模擬航海をする必要がある。
北太平洋の嵐を体験していない船長が嵐の中で暴れる葦船の上で何を指示できるというの か。

しかし、マズい。ヨットには乗ったこともな い。

それならば、ヨットで太平洋を渡る前にまず は日本を回りながらヨットのことを学ぼうと決めた。

ホップ!ステップ!ジャンプ!

まずはヨットで日本一周。ホップ!

次にヨットで太平洋横断の模擬航海。ステッ プ!

最後に葦船での太平洋横断。ジャンプ!

若い時と違い、いつの間にか確実に一歩一歩進まなければ たどり着かないと思える年齢にも達してい た。

恥ずかしいがヨットを手に入れたとき、何もかも全くわからなかった。
20本近くの色とりどりのロープがきれいだなと思った。
どのロープを引けばセールが上がるのかさえもわからなかった。 セールも風に対してどの角度にするのか正確 にはわからない。
葦船とは全く違う別の乗り物だ。 ズブの素人同然だ。
気持ちいいほどゼロからのスタート。

これでいいのだ!

まずは教えてもらわないと始まらない。
名古屋の葦船作りでお世話になったヨットマ ンの田中さんに相談した。
広島から伊勢まで一緒に航海しその間に教え てもらいたいと、今考えるとぞっとするよう な無謀なお願いをした。
それでも田中さんは快諾してくださり、僕は処女航海へと一歩進む。
海図の見方、書き込み方、航海術のこと、セールの上げ下げに角度、エンジンのトラブルの対処の仕方まで短時間だが素人の僕に根気強く教えてくれた。

その5日間が全てだった。

そのあと1ヶ月間ひとりで毎日毎日練習を続け、伊勢から千葉の母港まで1人で乗って帰った。
無事に着いたからよかったものの、天気のことがわからず嵐のような日を選んで。

その経験だけでヨットで日本一周の旅にでることを決めた。
ひと月の経験では無謀だと言う人も1人ではなかった。

朝出港して、夕方寄港する1日の旅だったらできる。
そして1日の旅が毎日毎日つなげていったら単純に日本を回って帰ってこれるに違いない。
その間にヨットのことをじっくり学ぼう。
トラブルを乗り越えながら経験値をあげていこう。

そして出港してからすでに延べ240日が過ぎた。
寄港した港の数も100箇所を過ぎ、距離にすると5,800キロを超えた。
途中から、葦船副船長のしげさんも乗ってくれた。
その間にはいくつものトラブルがあった。
マストのワイヤーが切れた。
エンジンはあっちこっち故障した。
セイルをカットしなおし、ファーラーも教わりながら取り付けした。 業者に任せるのではなく、一つ一つの問題を先輩方に手伝ってもらったり、電話で聞きながら教わり、自分の手で悩みながら修理を繰り返した。
もし、トラブルが一度もなく日本一周が終わっていたらヨットの修理一つできない素人同然の僕がいたに違いない。

そう、この2年間でいろんなトラブルが僕を育ててくれたんだと今なら思える。
きっとそのうち、一つ一つの故障やトラブルが笑える思い出に変わることに違いない。
そして、いつの日かヨットを始める後輩たちに修理の仕方をアドバイスしている自分に出会いたいものだと思う。

次の目標は、ヨットでの太平洋横断の旅。
そこにはまだまだ未知な困難やトラブルが待っているに違いない。

それでも越えていきたい。

そのときは一回り大きな自分に会えるだろうか。

そのときは、葦船での太平洋横断の船長として必要なものが身についているだろうか。

すべては、海の手紙を運ぶため。

そのために生まれてきたのだから

(文、石川仁)

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お知らせ

おかげさまでエンジン見つかりました!
探していただいたみなさまほんとうにありがとうございました!
このタイプの中古エンジンはみんなで取り合いするほど人気があるらしくなかなか見つからないだろうとヨットに詳しい人から聞いていました。しかも短期間で。

難しいようなら船外機を取り付けるなどのア ドバイスもらっていました。
何より、たくさんの友達が投稿をシェアしてくださったりメッセージをくれたことが何よりうれしかったです。

そうこう思案しているところに、パッと光が 射すようなキラキラした電話が入りました。

ヨットの先輩からの電話で、四国のヨットマンの方が持っている中古エンジンを譲っても られることとのこと!
さーっとお花畑に立って柔らかな風に吹かれたような幸せが突然やってきました。

みなさまの思いのおかげです。本当に本当にありがとうございました!

まずはご報告まで!

カムナ葦船プロジェクト

石川仁

お知らせ

ヨットのエンジンが突然壊れました。
中古のものを大至急探しています。
ヤンマー 2GM20のシャフトドライブのディーゼルエンジンです。

青森県小泊港に入る手前でエンジンがくすぶりだした。
港に入るとエンジンが止まった。 近くのヤンマーの業者さんに見てもらった。
たぶんクランクが折れてるとのこと。

エンジンを載せ換えるしかないみたいです。

ご協力頂ければ幸いです。
中古エンジンに心当たりがある方、メッセージ頂ければと思います。
kamuna.ashibune.project@gmail.com
どうぞよろしくお願いします。

また、投稿します。

カムナ葦船プロジェクト
石川仁